人生は運

テイルズブログだと思ってみてくださった方々には申し訳ないのですが、これは雑記ブログなので色んなことを書いていくつもり。技巧や作法、インテリジェンス、そういうものに配慮した文ではないということを、予め。

 

唐突だが、人生は運+何かだと思っています。

例えばどの国にも「黄金期」と呼ばれる時代が有ります。そんな時代に生まれることが出来たら本当に幸せでしょう。日本にだってありました。

日本にとっての黄金期は1980年前後です。そしてその気力衰えず、2010年までは比較的どの分野でも楽しい国だったと思っている。

 

少なくとも、オタクを秋葉原で1990年代にやってたヤツらと今のオタク、並べてみればもう悲惨なことになるだろう。これは何重もの皮肉なのだが説明はいらない。

 

ああ、そうだ、人生の話。

彼は田舎で生まれ育った。高身長スタイルもよく、顔は悪くなかった。だが、運動はこれっきしでね。こじらせちゃってたのか、こういう性格なのか、授業を抜け出しては哲学書を呼んだり、そういう受験と関係のない「学問」を学んで、適度に力をつけ(体力以外)卒業していった。

 

彼は多くの問題を抱えていた。障害とも病気とも言い難いものを抱えていた。

高校生のうちは地獄だった。趣味に理解ある人は皆無で、恋人はできたものの、学校内いじめ、家庭内いじめを食らわされた。

振り返ると、彼は本当に頑張ったなと思う。死ななかったのは100点だ。耐え切ったもの無駄ではなかった。

高卒の資格を(家で勉強すればよかったのにね。そういうのがある。)うちの親のイデオロギーによってぶち壊された。

 

大学入って、死のうと思ってたんだ。大学は入った瞬間に、「良い休養場」となる。

と感じた

ただ、そんなの関係なく、2019年4/1に死のうと思ってた。そのくらい知識がなかったから。

 

そこから俺は遊び、放楽をしまくった。実際、田舎の環境はかなりストレス下がるようだったし、高校から1人で料理すら出来ないのに押し込まれたやっすい家賃のカビ生え部屋。そこで好きな本を読む。ネットサーフィン、勉強。え、それだけ?実際それ以外に何をしていたかは覚えていない。

まあでも、それが俺にはお似合いである。未来へのカウントダウンはどうせ卒業後は死ぬのだから、そう思って生きてきた。

 

だが、大学卒業後、俺ふらふらとしながらなんとなく生きている。いや、1様あるけどさ。

将来設計もある。将来やりたいこともある。まだ語れる年齢だ。

 

だが、根本的に私は日本の会社で働きたいと思えない。そもそも人間嫌いだ。

とっと、すごいズレてる。

 

人生は運の話。

そう、人生って運。大人になってこれに反対する人はいないよね。容姿も運も先天的だけど、親から教えられるスキル、これが段違い。都心に生まれたのか、そうじゃないのかも、ある。

 

ここで大きく人生の難易度が別れるskyrimのベリハとベリーイージー並にわかれる。

 

親の教師。正しい情報を詐欺師共から潜り抜けて、子供をそだてる。

 

ここから出来ない人が多い。

 

頑張れば報われる社会の先にあるのはなんなんだろーな。頑張っても報われない社会が来たし。次はなんだよ。クソがよ。

 

まあ、当事者として、嘆く訳にも行かない、。

さ。

 

 

人生は運。わかり切ってる。

それを受け入れること。サイコロを持ち歩くのも言いだろう。迷う時に、サイロこで動くんだ。楽しそうだろう。ここで大事なのは、サイコロでは必ず達成出来るものを選ぶってことだ。

それでも人は、決断をしたくない。決断にかかるコストはベラボーに高いから。

 

だから、、人生は運で決まるのだ