クソゲーを楽しむ風習

昔オタクいにしえ村ではクソゲーを楽しむ風習というのがあったよなぁとふと思い出した。少し前にクソ映画レビューがバズったことで名が広まった感もあるが、結構こういう世界ではクソを楽しむという文化が存在する。

 

「あの作品クソだよな!」というと信者が出てきて「ふざけんな!○*5574÷〆|9、、、。」みたいな流れは正直あまり実感がわかない。

 

なんというか、「ゲームは友達」みたいな感覚があったのかもしれん。友達のことをクソと言ってもそれは1つの愛情であって、別に嫌いなわけじゃないのと似ている。

 

確かにクソゲーを引くと金返せとは少し思ったりするが。

一つの作品を作っている時点で大体の場合は熱意を込められて作られている。それが空回りしたり技術が圧倒的に不足していたりで驚くようなお前正気かと思うような作品がたまに世に出てくるわけだが、いや良く出てくるわけだが、それはそれで面白い。仲間と「あれクソだったな」という会話ができるしね。というか、自分がクソだと思うものは大体の場合「凡作」なだけである。光るものがないからと言って即座に0点なわけではない。そう、ローグギャラクシーよ聞こえているか。君は愛されしクソゲーだ。

 

というか、最近は少し消費者様が贅沢すぎる。バグがあったりロード時間が長かったり理不尽な敵がいたりは間違いなくストレス要素だが、それで全てを否定するべきではない。ただ、クソだと言うのは自由だ。ここら辺のバランス感覚よ伝われ。

製作陣には自由にゲームを作って欲しい。こちらはクソならクソだと言うだけだから。

 

まあ、こういう文化は残って欲しいなと思う次第である。